銭無円子の「金持脳・貧乏脳」でわかる成功の秘訣 » 2009 » 3 月

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銭無円子の「金持脳・貧乏脳」でわかる成功の秘訣

2009 年 3 月 のアーカイブ

理数系インド人の底力

2009年3月24日(火)

ブッダガヤは今でこそ、ホテルもしっかりたっているし、観光バスも新しくて立派なのが走っているそうですが

20年前は、ほんとに田舎で、道路は埃だらけホテルなどというしゃれたものはなく

熱心な仏教徒がわずかに来ているという程度だったそうなのです。

つまり、仏教徒にとって一度は行ってみたいけれどなかなか行けない場所だったわけです。

それをツアーを作り、バスを用意し、自分が通訳をやってという枠組みを作り、

お寺にダイレクトメールを出してツアー参加者を募りました。

日本人の友達の友達の小さな旅行会社と提携し、飛行機の手配やVIZAはそこが担当します。

今考えると本当に高い値段なのですが、滅多に行けない聖地巡りということで
1人60万円のツアー代金でも

それなりに参加者はいたようです。

そこで、小金を貯めた彼は、次に製薬に目をつけます。

インドは理数系の教育に力をいれ、いまでもIT産業に人材を数多く排出しています。

もともと数学の先生だった彼は、得意の理数系をいかせるものはないかと探した結果

頭にひらめいたのが薬。

1990年当時のインドは製造特許の概念がなく、コピー薬が大手を振って売られていました。

そこで、需要が多い薬は・・・ということで糖尿病の薬がいいと、成分を分析してなんとコピー薬を作ってしまったのです。

国内でなら販売もOKだったみたいです。

1995年にインドが製造特許の条約に調印して、コピー薬がだめになったので

今度は特許切れの薬を探してやはり作りました。

それが今やジェネリック薬として、国内でしっかり販売されているのです。

インドにはジェネリック医薬品の会社が2万から3万社あるのだとか。

ちゃんとした大きな工場をもつ大手から、家族で作っているような小さな工場まで。

彼の会社は従業員が40人の零細企業ですが、ITバブル以降肥満が増えているインドでは

けっこう商売になっています。

だって、日本に来るときはリッツカールトンに止まっているもの。

もともと理数系に強かったから薬を作ろうとおもったのでしょうけど、

思いたったら迷わず突き進んでみるってのも、大切だね。

まず最初に、障害の要素をならべて、

posted by 銭無円子 at 06:58PM
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インド人の商法

2009年3月20日(金)

かれこれ10年以上前のことです。

あるインド人と知り合いになりました。



この人は、ブッダガヤの生まれ。

釈迦様が悟りを開いたという菩提樹の木がある仏教の聖地があるので、

日本のお坊さん向けのブッダガヤツアーの企画運営会社をやっておりました。


もともとはインドで学校の先生をしていたのだそうですが、

給料が増えないので友達を頼りインドを飛び出したようなのです。

日本に来ても当座は仕事がありません。

インド料理やをしようかとも思ったようですが、中国料理ほどには日本ではインド料理の需要がなく

商売が大きく発展することはないと思い、なにか商売になるものはないかと考えたようです。


そこで、はた!と気づいたのが、生まれ故郷のブッダガヤの菩提樹。

インドはヒンドゥ教が大勢を占めており、仏教など見向きもしません。

しかし、お釈迦様が悟りを開いた場所というのは日本の仏教関係者にとっては魅力なのではないかと

考えたようなのです。

しかも、ブッダガヤはパキスタンとの国境に近い首都から離れた町。

簡単に行ける場所ではありません。

交通網も整備されていないので、いきたくても行きにくい場所だったのです。

さっそく、故郷に帰り、菩提樹以外の仏教の聖地はないかと探したところ、

朽ち果てていた仏教寺院や仏像などがあることがわかり、

掃除や改修をして、ブッダの聖地を巡るルートをつくり、写真をとりました。

その後日本に再度やってきて、営業を開始しました。

旅行代理店にツアー企画商品を売り込むのではなく、寺院に直接行ってブッダの聖地巡りの販売をしました。

いきなり、インド人がやってきてブッダの聖地をめぐりませんか?といっても誰も乗ってくれません。

そこで考えたのが、修行見習いとして寺に入りそこから人脈を広げていこうという作戦でした。

いけない!お客さんがきたので、続きはあとで。

posted by 銭無円子 at 10:32AM
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すっかりご無沙汰しておりました。

2009年3月16日(月)

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なんとまあ、月日のたつのはやいもの。

この間まで寒さに打ち震えておりましたのに、もう3月半ば。

暑さ寒さも彼岸までといいますが、今週末はお彼岸ですよ。

時間が全ての人に平等なのに、それをどうのように使うかでまったく人生が変わってくるのですね。

いえね、先日もちょっと面白い方におめにかかったのです。

運転手つきの大型のベントレーに乗っている、そう年のころは50代後半か60代ってところでしょうか。

車をみても、着ているものをみても(決して派手じゃないのですが、品質がいいって感じです)
お金持ちなんだなあ、ということがわかります。

でも、ぎらぎらしたところがなく、ほっそりしているのでやり手のビジネスマンという感じではありません。

若い時にドイツで日本食レストランのマネージャーをなさっていたのだそうです。

当時は東ドイツと西ドイツがしっかりと争っていた時代です。

いまでこそ、どこにいっても日本食レストランはあるのですが、当時は珍しい。

でも日本のビジネスマンは、ドイツにも営業にまわっていたので日本食レストランの需要はあります。

マネージャーとしてドイツに赴任しても、レストランを上手に切りもりしていただけではなかったのですね。
この方は。

当時食材は日本から輸入していました。

ぼちぼち他の街でも日本食レストランができ始めていて、それぞれの店は少量ずつ輸入していたので

割高の食材をつかっていたわけです。

そこに目をつけたこの方。日本から食材を輸入する会社を作り、自分の働いているレストランにおろしました。

まあ、自力でトンネル会社をつくったわけです。

せっかく輸入しているからと、他の日本食レストランにも食材を下します。

日本の食材は健康にいいということで、ドイツの人にも人気がでます。

輸入会社がなんと現地にスーパーマーケットを始めるのです。

これが大きくなって5店舗にまで拡大します。

そんなとき、もともと勤務していた会社がレストランを閉鎖するので日本に帰国しろといわれ、

彼はスーパーマーケットと輸入会社の権利を売って帰国、これがかなりのお金になったようなのです。

ドイツにいた期間はわずか13年。

最初の何年かは、レストランの立ち上げで忙しかったわけで、実質数年。

同じ境遇で、海外でレストランのマネージェーをやった人も数多くいたと思うのですが、

食材が手に入りにくい→輸入しなければならない→それなら自分で輸入会社をつくろう

とおもっただけでなく、実行したってのがすごいですね。

10年ひと昔っていいますが、10年あればかなりのことができるってことで

お金を手にする人は、片時も時間を無駄にしないのですね。

惰眠をむざぼる私は、今ここにいるのは納得ですね。  はあ・・・・・。

posted by 銭無円子 at 11:16AM
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